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グローバリズムに対する高校生なりの疑問

グローバル化、という言葉を聞き続けて一体何年経ったのか。あまり記憶が定かではないけれど、数年前から馴染みのある言葉だ。「世界の一体化」ともしばしば言われる。

とりわけ、中学・高校では耳にタコができるほど教師から教えられた。

グローバル化が進んでいる」「グローバル人材になれ」、と。

「なるほど、よくわからん」と僕は昔から思っていた。

「えっ、世界の一体化って、じゃあ以前はバラバラだったのだろうか」

トランプ政権となり、世界は刻一刻と、しかし着実に『ナショナリズム』に向かっている今、今一度グローバリズムに向き合いたい。ごくごく個人的に。

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正直なところ、グローバリズムという考え方が、僕はあまり好きではない。なぜなら、かなり理想主義的に聞こえるからだ。さも、仲良しこよしの戦争のない世の中を示唆しているように聞こえる。

グローバルな視点を持て、と僕は学校の先生に言われてきた。

『グローバルな視点』で世界を見ると、貿易というものが真っ先に思い浮かぶだろう。

文化、とりわけ宗教や商品、技術を国家間でやり取りしてきた。真新しいことではない。昔から存在する国家間をつなぐパイプ。

近年耳にするグローバル化は、つまり貿易の拡大のことではないように思う。

では、なんのことだろう。考えられるのはNPONGO。国家や民間の援助。あるいは国連。国と国をつなぐ、国境をこえた取り組み、組織。

たしかにそれらは素晴らしいことだ。高校生の僕にもわかる。けれど、これら世界をまたにかけた取り組み、組織は十全な働きをしているだろうか、また将来的に機能するのだろうか

そう考えた時に、僕はやはり理想主義者の唱える桃源郷こそが『グローバル化した世界』の正体であるように思う。

グローバリズムという考え方は、さも世界がかつて不完全な状態であったかのように捉えている。

世界の一体化という表現も奇妙だ。国家間での争いは絶対になくならない。世界が手と手を取り合って仲良く……なんてことにはならない。

それは歴史が証明していることで、そして歴史は今この瞬間を紡がれ続けている。

ナショナリズム、国家第一という考え方は至極当たり前のように思う(ただ、だからといって極端に排他的になることはない)。

ポリスというものを世界史でならう。とても面白いと僕は思った。

古代ギリシアではいくつものポリスが互いに争っていたのだ。紀元前から地縁的な集団が武装して富を奪い合っていたというのだから、人間はやはり根本的にそういう生き物なのだろうと思わずにはいられない。

そう考えると、『世界の一体化を実現する方法』がひとつ思い浮かぶ。無論妄想に過ぎない。きっと、もし地球外生命体が地球に攻めてきたら『地球人』は手と手を取り合ってひとつとなるだろう。まぁ突飛な妄想だけれど。